上杉光弘氏
「野にありて 知る人の情け 人の恩 求むる道は 臥薪嘗胆」
これは、最初に衆議院選挙に挑戦し、落選したとき詠んだ上杉の素直な心情の歌です。

  県議会議員二期を経て、上杉光弘は、衆議院議員選挙に挑戦します。青年団・SAPで の実践活動を通じて、彼の政策理念の原点となった「国土を守り、国民生活を支えて いる農山村には、国と国民みんなが報いるべきである」という主張は、国政の場で言 わなければならないと感じたからです。
  しかし、結果は落選。次の選挙にも挑戦してまた失敗。長く苦しい浪人生活でした。
  上杉は後に、著書でこう書いています。「長い浪人生活の中で、ともすれば挫折し そうな私を多くの人々が支えてくれた。人の情けを本当に知ったのもこの時期である。 おかげで、私は何のために国政を志しているのかという目標を失わなかった。国会入 りを果たしたとき、命がけで取り組むことが、これら人の情けに対する恩返しだと思っ た。恩義ある人々の向こうには、日本の農山村に住む人々の姿が、日々汗を流して働 く人々の姿が二重写しになって見えた」
  この苦難の浪人生活は、上杉光弘を一回りも二回りも大きく育てました。政治家の 財産は「人脈だ」という彼の哲学の原点も、この時代にあったのです。彼の確固たる 政治哲学も、この時代に磨きがかかったと言えます。

「野にありて 知る人の情け 人の恩 求むる道は 臥薪嘗胆」
そして、今、この歌の気持ちをもう一度胸に刻み、故郷・宮崎のために立ち上がります。