4 SAP活動



高校を卒業して2年ほど経った昭和37年、当時現天皇のご成婚を記念して若者を外国に派遣しようという国際親善使節団が結成されました。彼はそれに挑戦しました。そして、県代表となったのです。
東南アジア諸国からニュージーランド、オーストラリア8カ国を3ケ月かけてホームステイしながら巡っていくものです。初めての海外であり、複数の国のいろんな文化、言葉に接し、カルチャーショックを受けながらも、探求心旺盛な彼は一回りも二回りも大きくなっていきました。今の自民党幹事長の山崎 拓さんなども使節団で一緒だったそうです。
やがて彼は幼いときから培われてきた性格の上に、青年団活動、海外経験を経て、リーダーシップという才覚を現してきました。
家業を継ぎ、通信教育で大学の勉強をしながら、宮崎県の農山村青年の活動であるSAP活動に打ち込んでいきます。

SAP
心血を注いだSAP。その活動は全国から注目
を浴び、田中首相から異例の表彰を受けた。
SAP
青年団とSAPでの活動が政治家としての道
を歩むきっかけを与えた。



彼はSAP連合の事務局長を四期、2代目県連理事長を二期務めています。その間、各市町村すべてにSAP会議が設けられ、それらをたばねるSAP会議連合も彼の手でつくられました。会議連合は、国際連合の精神を取り入れ、大小のSAP会議を平等対等に扱うという意味を込めて、宮崎県SAP会議連合を名付けたそうです。
この高校を卒業してから28歳で県議に立候補するまでの期間は、東京農大の通信教育を受けながら、青年団活動に、SAP活動に汗を流す日々でした。大変でしたが、活動を通して多くの仲間を得て、技術、知識を身に付け、農業、農山村問題の本質を理解していきました。多くの問題の解決に努力した時期でもありました。
しかし、根本的なところで、彼はまだ解決を見い出していませんでした。徐々に、政治が取り組まなければという限界を感じていました。飽くことを知らない彼の探求心と行動力が、政治家としての情熱を芽生えさせていったのです。常に持ち続けた疑問と、青年団とSAPでの活動が、やがて彼を政治家としての道を歩ませたのです。

(コピーライター 北村多喜子 平成14年12月)

※『SAPとは?』

・SAPとは、Study for Agricultural Prosperityの略。サップと発音する。宮崎県に昭和37年に誕生した「農業繁栄のための学修活動」である。当時、青年団活動はあったが、農業の専門的知識、技術を学び磨く場としては物足りず、当時の農村青年のリーダー達が「農業とは人づくりなり」との信条を持つ当時の黒木宮崎県知事と一緒になって作り上げた農業実践活動の若いパワー集団である