1 自然から、祖父母から学んだ少年時代


 彼はどんなところで生まれ、どんな少年時代を過ごしたのでしょうか。
戦時中の昭和17年4月12日、宮崎県西都市三納の地主の長男として生まれています。家族は祖父母、両親、兄弟6人、使用人2人の大家族でした。(うち2人の弟さんは早くに亡くなられています)
彼の生まれ育ったふるさとが見たくなり、三納まで足を延ばしてみました。三納へ行くのは初めてです。車で西都市に入り、そこで三納までの道のりを聞きました。
「上杉さんとこは、山の上の方にあるよ。この道をまっすぐ行きなさるといい」と、教わります。その通りに車を走らせていくと、次第に人家がまばらになってきました。不安になって、途中工事をしている人に尋ねると、まだまだずっと行くのだという。
やがて、山あいに人家が見えてきました。そこで上までは登らず、下から見上げて、彼の育ったふるさとの風景を眺めました。山々に囲まれた谷あいの田んぼに、刈り取られた稲の跡が美しい模様を見せ、山裾には紅色や山吹色に染まった木の葉がわずかに残って、くすんだ山あいに彩りを添えています。
ここではきっと幾百年も変わらない四季の変化があり、人々の暮らしがあるのでしょう。開発の跡のない、自然の姿がそこにはありました。
彼もまた、この自然の中で、季節の風合いを肌で感じながら過ごしてきたのはないでしょうか。彼の自然を愛する感性豊かな性質が解ったように思えました。
実は、上杉氏は今でも野の花を眺めながら、河原の土手や草の生えている細い道を散策するのが大好きで、暇を見つけてはそぞろ歩きをされているのです。
そして、草花を見つけては名前を思い出し、対話をしているとおっしゃっています。苛酷な仕事の合間の安らかなひとときのようです。

少年時代の彼はこの自然真っ只中で、四季の移ろいを、自然の驚異をじかに感じながら、野生児のごとく育ちました。
山桜が山腹を薄紅色に染める春の野山を駆け回り、緑が鮮やかな夏には、冒険心もあらわに遠出をしたりと、少年の本能そのままに動き回っていました。遊び場所と相手は周りの野山です。
しかし、そんな中にも、大農家の跡取りとしての厳しい躾けと、農作業の手伝いが待っていました。
自分で飼っているシャモ(軍鶏)と犬の世話のほかに弟や妹の面倒を見て、夕方には草刈りもしました。また田畑で馬を引き、耕作の手伝いもしています。
このようにして、子供のころから着々と後継者としての資質を積み上げていたのです。しかし、それと併行して、上杉少年は農業の本質と疑問も、無意識のうちに身体の中に培っていたようです。それはやがて、政治家としての道標となります。


(コピーライター 北村多喜子 平成14年12月)